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名護市とイルカの意外な関係 第2話

2017.02.28

こんばんは、和田です。

 

 

シリーズでお送りしています、『名護市とイルカの意外な関係』

 

 

第二回目は・・・

 

 

名護市のイルカ漁について

 

 

名護市にかつて大群でやってきたイルカたち。

 

 

 

食糧事情の乏しい時代には、大変なご馳走でした。

 

 

 

名護市に主に来遊してきたイルカは3種類。

 

 

 

そのうちのカズハゴンドウやコビレゴンドウの体長は5メートルから6メートルほどといわれています。

 

 

 

しかし、現在のようにエンジンのついた船や機械的な漁の道具が無い時代のこと。

 

 

 

そのような大きなイルカを、どのように捕まえていたのか・・・

 

 

 

手元の資料を参考にお伝えします。

 

 

 

発見方法

 

イルカの群れは名護市の南側から名護湾に向かってきます。

 

 

ちょうど現在の許田の道の駅の裏手にかつて民家があり、名護湾を一望できます。

 

 

 

そこに住む住人が発見することが多かったそうです。

 

 

 

しかし電話も無い時代、名護市内に住む人々にそのことを伝えるのには大変だったそうです。

 

 

 

ちなみに主な方法は『叫ぶ』。

 

 

 

意外ですよね?

 

 

 

『ピトゥドーイ(イルカが来たよ)』『ピトゥユトゥルンドー(イルカが寄ってきてるよ)』と叫ぶ。

 

 

 

ちなみに許田から名護市街地までは現在の道で5キロほどあります。

 

 

 

整備されていなかった当時は、もっと距離があったことでしょう。

 

 

 

その結構な距離を、大声で人づてに伝えていくんだそう。

 

 

 

まれにイルカが来ていないのに、ふざけて叫ぶ狼少年的な人間もいたらしです。

 

 

 

単純ではありますが、人と人の結びつきの強い時代だったからこそ成り立った伝達方法ですね。

 

 

漁の準備

 

 

さて、『ピトゥドゥーイ』を聞きつけた町の人はというと、

 

 

大人も子供も男女も問わず、自分の仕事をほったらかしにて海岸線に集合したそう。

 

 

中には葬式を中断して駆けつける人もいたそう。

 

 

 

もちろん役場や学校も参加や見学のため臨時休業という力の入れよう。

 

 

今現在の名護市役所付近の浜辺に、鉈や包丁など何でもいいのでとにかく家にある武器を持って市民が大集合したそうです。

 

 

名護市内の各部落には、ピトゥ用の手漕ぎのボートが用意されていて、持ち主はそれに沢山の死んだサンゴの塊を積み込みます。

 

 

白いサンゴの塊は水中で光るので、投げ込んでイルカを追い込むのに役立つそうです。

 

 

漁の開始

 

さて、沖合いには手漕ぎの船。

 

 

 

浜辺には名護中から集まった人々。

 

 

 

徐々に沖合いから船でイルカを追い込んでいきます。

 

 

 

手漕ぎのボートの時代は3時間以上もかかる長期戦だったそう。

 

 

 

浅い水深まで追い込んだら町長(当時の名護市長)の合図で、一斉に船からモリを投げ込みます。

 

 

 

そこからは、まさに修羅場。

 

 

 

驚いたイルカたちはさらに岸へと向かって泳ぎ、ついには浜辺に乗り上げてしまいます。

 

 

 

そこで浜辺で待ち構えた人々が一斉に捕まえに飛び掛るそうです。

 

 

 

ちなみに、沖合いの船に乗る人は、イルカと間違えるからという理由で黒い服は禁止、白い服を着るように決められていたそう。

 

 

うっかり間違えてしまうくらいの接近戦。

 

 

実際に間違われて亡くなった方もいるそうで、捕るほうも捕られるほうも命がけの戦いだったそうです。

 

 

 

多いときには100頭以上捕まえたと言う事から、その光景は想像を絶するものがあるでしょう。

 

 

 

『名護湾がイルカの血で赤く染まった』などと、今でも語り継がれています。

 

 

 

現在はアイドル的な存在のイルカですが、当時の人々にしてみたら貴重な食べ物の一つ。

 

 

 

海からの贈り物(ユイムン)として、みんなで平等に分け合ったそうです。

 

 

 

さて分け合った海から贈り物を、どのように利用していたか?

 

 

次回も乞うご期待!

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