STORY

Toshio Kashima

STAFF

大学時代の鹿島

兵庫県出身。山口の大学に入学。特に何かに情熱も燃やしたわけでもなく、ただ単位だけは取って、普通に過ごす日々。時代は就職超氷河期真っただ中。たいしてやりたいこともなかった時に、兄に勧められたのがダイビングのインストラクターという職業だった。

知り合いの伝手で、福井のダイビングショップで体験させてもらえることに。
その時、ビビりまくってろくに潜るどころか呼吸もできてない自分を、安心させてさらに楽しませてくれた、この仕事に初めて「感動」を覚えた。
もちろん、海の中の景色にも感動したけれど、ここで働く「人」に感動した。というのがこの時の感覚だった。

すぐにこの仕事がしたいと申し出てみたが、「給料は安いし、辞めておけ。」と周囲に反対された。それでも人生で初めて出会ったこの感覚を信じて、就職活動はせず、山口の大学の近くにあるダイビングショップでアルバイトしながらインストラクターライセンスを取得。この時インストラクターのトレーニングの一環で、初めて訪れたのが沖縄。これが人生 2 度目の衝撃だった。

それまでアルバイトしていた山口のショップに不満があったわけではないが、沖縄のダイビングショップのお客様の多さ、華やかさ、ロケーション、暮らし。
すべてに魅かれてしまった。どうせ、働くならこういう場所で働きたいと勢いで沖縄に移住。 それから3年。 知り合いのショップに就職させてもらい、がむしゃらに働き始めた。 石の上にも3年とはよく言ったもので、3年も経つと周りが見えてくる。リピーターのお客さんもついたりする。
またこの業界は、ショップに属していない個人フリーランスのようなインストラクターさんも大勢いて、「自分もやればできるのではないか」と勘違いをしてしまう。

「自分なりのやり方で、自分らしくダイビングを楽しんでもらいたい。」 そういう気持ちに嘘はなかった。それでも、どこか世間を甘く見すぎていた。ショップを持たない20代のインストラクターが黙っていてもお客さんが集まることはなく、いきなり収入がなくなった。

あの頃の鹿島

それからはとにかくヘルプで呼んでくれるダイビングショップに顔を覚えてもらえるよう那覇から本部まで、どこにでも駆け付けた。使ってもらったショップの数は70カ所以上。自分のショップではない以上、変な接客やサービスをすれば次は絶対に呼ばれない 。
これまで以上に、真摯に真剣に、インストラクターとしての仕事に専念した。

特に「誰」というわけではないが、自分が一緒に仕事をして気持ちがいいインストラクターとそうではないインストラクターがいると気づいた時、自分が本当にやりたいダイビングショップのイメージがハッキリ見えてきた。インストラクターには大きく分けて2種類の人間がいる。ダイビングする時間を「自分の時間」と思っているか「お客様の時間」だと思っているか?

自分なりに出した答えを持って、一念発起。名護に店舗を構えたのがジャミングのスタート。みんなが真栄田岬。
みんなが慶良間諸島でガイドする立地での開業を勧める中、自分なりの勝算とこだわりを持って開業した。。
それでもやっぱり、そう簡単にはお客さんは増えない。
ダイビングだけではなく、橋の補強作業など水中での作業や運転代行、水陸問わずとにかくいろんな仕事をしながら、自分がやりたい「目配り・気配り・心配り」ができる気持ちいいダイビングショップを続けた。

名護でショップを構えて3年目。毎日続けていたブログや口コミが広がって、お客さんを断るほどの予約が殺到し始めた。正直、自分ひとりと家族を養うだけなら、このままでいいのかもしれない。それでも、尊敬するインストラクターの先輩たちは、ダイビング業務から引退し、全く別の仕事をしていたり、羨ましいほどたくさんスタッフを抱えていたダイビングショップがある日突然、廃業したりもしていた。
何が正解で、何が安全かは、わからない。それでも年1回の沖縄でのダイビングを楽しみに来ているお客様に「ジャミングって、毎年どこかが進化しているよね」と言われることが、何よりもうれしくて、「法人化」を決めた。

Nobushige Nakahodo

STAFF

生まれも育ちも本部町。海はいつもそこあった。
サーフィン・シュノーケル・素潜りはやっていたがダイビングを初めて体験したのは30歳の時。

それまでは型枠大工・大型ダンプの運転手などで働いていて、まさか自分がダイビングショップのインストラクターになるなんて、思ってもみなかった。

一度潜って、魚と同じ目線で海を見る。それまで飽きるほど見ていた本部の海が30歳になって全く違うものに見えた。
それからはとにかく、毎日でも潜りたい。もっともっといろんな海の表情を見てみたい。それを叶える仕事として、ダイビングインストラクターになることにためらいはなかった。

同じダイビングインストラクターでも、考え方は色々。お客様の命を預かる仕事だからか、「お金を払ってもらう相手ではなく」、「守ってやっている相手」という態度で接する人達もいた。ずっと陸の社会が長かったおかげで、自分はそういうインストラクターには、いつも違和感を持っていた。そんな時に、声をかけてくれたのが鹿島さん。お客様をお客様として扱い、誰よりも人を引きつける魅力を持った人だった。
ジャミングに勤めてもう7年。それまでの人生の充実感とは全く違う。毎年、沖縄に来る旅の目的が「ジャミングで潜ること」というお客さまが年々増えている。そんなお客様と一緒に水中を案内することは、何よりも楽しいひと時。この人たちがいつまでも沖縄に帰って来られるように、この場所をしっかり守っていきたいと思っている。

Aiko Iwamura

STAFF

東京都出身。保険外交員やペットトレーナーの養成校など、ジャミングに出会うまでダイビングとは無縁の人生でした。
よく、お客様からは「海とダイビングにハマった人」なんて思われていますが、ジャミングに出会って入社するまでの期間は1年もないんです(笑)

東京の渋谷駅の近くで働いていたのですが、年齢も30歳を越えて、街に人も外国人も増えて、震災の傷跡は忘れたかのように東京オリンピックに染まっていく風景を見ながら、ずっと息苦しさが増していました。

ある日、駅ビル特有の突風に飛ばされて転んだ時、ただでさえ小さい私の身体を見下ろす山のように背の高い海外のビジネスマン。「ああ、もう東京を出よう。」と決意。

長野でも沖縄でも山でも海でもよかったのだけど、友人と行った海外旅行先で初めての体験ダイビング。その後、ライセンスを取りたいと友人に紹介してもらったのが、ジャミングでした。それから数ヶ月後にはすぐ1人でダイビングのお客さんとして来沖しました。
鹿島さんの印象は、「物腰が柔らかくて身長が大きい人。」

その後、Facebookで繋がっていたのですが、ある時「事務員募集」の投稿をみて、すぐに連絡してしまいました。今思えば、鹿島さんが募集していた人材とは全然違うのですが、たぶん、私の行動の早さを買ってくれたのかなと思います(笑)

職場の代表としての鹿島さんは「アツい人。」そして何より、お客様と従業員のことを考えて停滞しない人でした。鹿島さんにはやりたいことのビジョンや想いがある。インストラクターではない私の仕事はおのずと明確になりました。
受付や予約の手配はもちろん、会社の総務経理のようなこと、お客様の対応もするし、次の事業の下準備も行う。以前の私からすると、本当に信じられない毎日を送っていますが、「こんな自分もいるんだな。」と、自分が自分で可笑しくなるくらい楽しい日々を送ってます。何より、人生の中でいちばん自分らしく働けている今がとても充実しています。

Tani Sugumi

STAFF

千葉県出身。身体が動かすのが嫌いなわりに体格が良かったので両親が何かと運動をさせた結果…元気いっぱいに育つ(笑)

子どもの頃、鴨川シーワールドで観たシロイルカに魅せられて、水族館や動物園で働く人を育てる学校に進学。馬からアザラシ。あらゆる鳥類もいればホワイトタイガーまで250種類の動物を飼育しながらも、やっぱり「水族館で働きたい!」と、就職活動は水族館に絞った。

 

その中でもずば抜けていたのが「美ら海水族館」だった。生物たち本来の姿を見せる、沖縄近郊の海をそのまま再現する。という考えに共感した。ただ、新卒採用の募集はなかった。とにかく何でもいい。美ら海水族館で働いていればそのうちチャンスはあるはず!と唯一募集が出ていた、受付担当の契約社員として就職した。

ただその1年はツラかった。目と鼻の先に大好きな水族館があるのに、自分は入口でお客様の誘導整理。やりたいことはこれじゃない!と思いつつ、1年間で7回、飼育員としての応募をしてみたがことごとく、不採用。さすがに心が折れてしまった。仕事を辞めた。

海に携われて、今の住所から通えて、生活できるところ…。正直、自分が仕事を選べるような条件と状態ではなかった。そこでダイビングインストラクターの仕事が目に止まったが、「未経験者は見習いからで8万円~」・・・生活ができない。途方にくれていた時に紹介されたのがジャミングだった。すぐに電話したら、すぐに面接だった。

最初の仕事はショップのペンキ塗りからだった。なにせ入社はコロナ禍の真っ最中。文句は言っていられない。「その代わり、この期間中にみっちりトレーニングするからな。」と鹿島さんがにんまり笑っていた。案の定、毎日へとへとになるまで潜らせてもらった。
そんなある日「美ら海水族館の清掃の仕事きたけど、やってみる?」と鹿島さんが聞いてきた。なんて、めぐり合わせなのだろう。あれだけ、入りたかった水族館。あれだけ、やってみたかった仕事。まさか、こんな形で関われるとは思ってもみなかった。

2020年6月。初めてのお客様はお子さんのシュノーケルのサポートだった。
「大丈夫?怖くない?」と声をかけながら、実は自分も半分溺れていた(笑)
それでも、それ以来一緒に潜ったお客様と、その日、見れた海の生き物の話をする時間がたまらない。
水族館にいる生物の名前は詳しいけど、実際、海中や海底にいる生き物に関しては先輩方の方が詳しい。自分なんか頭の中だけの勉強しかしてこなかった温室育ちの人間なんだなと痛感している。

でも私は今、海を楽しんでいる。自分が楽しんでいる海を100%純度で1人でも多くの人に伝えたい。人生は自分の計画通りには進まないけれど、それを楽しめる自分をここで見つけた。

Horiue Masato

STAFF

東京都出身。高校時代はソフトテニスでインターハイまで行ったが、これからいろんなことにチャレンジしてみたい。という想いから、焼肉屋のアルバイトで、接客業の楽しさを感じてみたり、住み込みのリゾートバイトで、お金を貯めて、ハワイ・オーストラリア・北海道そして沖縄と旅をしたりと経験を積んでいった。

女手一つで育ててくれた母を安心させたい気持ちもあって、新卒で大手営業会社に就職。若くても裁量ある仕事を任せてもらえる社風に惹かれた。営業という仕事が向いていなかったわけじゃない。だけど、自分の成績のために売っているのか?目の前のお客さまのことを想って売っているのか?疑問が生じる自分に噓がつけなくて辞めた。

親には心配をかけたし、周囲の友人は立派にサラリーマンをやっている。焦る気持ちを抑えながら神奈川の海の近くで働いた。そこでたまたま、ダイビングをする機会があった。これだ。と思った。心も体も縛られない解放感。陸の上からは、見ることのできない海の中の景色。これを仕事にしたいと思った。
ダイビングという業界にしっかり就職をしよう。ようやく自分の意志で仕事を探すことができた。

でもそこでコロナ禍が始まった。せっかく入社できた沖縄のダイビングショップも、入る前と入った後ではガラリと環境が変わってしまった。このまま何もせず帰るわけには行かない。そういう想いでジャミングの募集が目に止まった。この時期に募集をしているなんて、ただのダイビングショップではないはず!きっと成長していく場所に違いないと思い、応募した。
鹿島さんに会って、お客さんたちと接している姿を見て、それは確信に変わった。
ダイビングインストラクターは「お客さんをただ潜らせればいいだけ。」そんな思い込みがあったが、ココは全く違った。

大学時代に、大好きだった焼肉屋さんの接客業。みんなに声をかけられて、常連さんに名前を覚えてもらって、仲良くなったら一緒に遊びに誘われて…。そんなサービスと同じようなフレンドリーさを土台に、しっかりプロとしてお客様の命を守りつつ、海の楽しさをご紹介できる仕事。まさに自分がやりたい仕事のカタチがここにあった。

コロナ禍において、自分を仲間に加えてもらった恩返しはまだまだ何もできていない。ようやくインストラクターとしての仕事をフル回転で、できることに緊張と喜びを感じている。
海から上がったお客様の笑顔と「よかったー!」の声を、たくさん浴びたい。今はそれに夢中だ。

Kawabe Ayato

STAFF

千葉県出身。たまたまだけど、谷優実さんと同じ高校出身。高校卒業後は調理学校に通い、同世代でわいわい楽しい給食センターで働いた。楽しいだけじゃ成長しないとも思って東京のイタリアンレストランで働いてみたけど、自分は料理を究めたい!というほど熱量を持っていないことに気づき退職。なんだか中途半端な自分を変えたくて「いつか住んでみたい」と思っていた宮古島にいきなり行って住んでみる。自分で自分を掴みたかった。

現実は甘くなかった。知り合いヅテの宮古島での働き先は、とんでもない所だった(以下、略…笑)。
何とか生きていかなくてはならなかったので寮付きのサトウキビ刈りの仕事に就いた。憧れていた南国ライフとは程遠い重労働の毎日。サトウキビを3ヶ月倒し続けたが、心も毎日折れ続けた。

何とかお金も貯めて、次の生活を考えた。せっかくなら海の仕事がしたい。せっかく宮古島に来たのに畑しか見ていない。ダイビングインストラクターはどうだろう?と調べまくった。「資格はとらせてあげるから、その代わり安月給で働けよ。」という本音が透けて見えるのに「楽しく南国リゾートライフ!」みたいなことが書いてある求人ばかりで嫌気がした。もうそこだけには騙されない目は養われていた。

そんな中で目が止まったのがジャミングのHPだった。甘いことだけ書いてない。しっかりした代表の考え方。ここしかないと思って飛び込んだ。初対面の鹿島さんは怖かった。言葉は優しいけど、目の奥では試されている感じがビンビンにした。
自分は面接や言葉で信用されるタイプじゃない。働く姿勢で分かってもらうしかない。
最初の仕事は延々とタンクチャージの仕事だったが、サトウキビ刈りに比べれば何のことはない。黙々と精いっぱい取り組んだ。

その姿勢が伝わったのか試用期間が終わる頃には、鹿島さんから「スタッフみんな、キミと働きたいと言っている。ぜひ残って一緒に働いてほしい。」と言われた。嘘でも嬉しかった。正式入社して、最初の仕事はあろうことか、お世話になっている船長のサトウキビ刈りの仕事だったけど、“あの時”とは気持ちが全然違った。ここで頑張れば自分も自分になれるだろう。そういう居心地の良さがある。

ジャミングでは「大きな木」のような存在になりたい。大きな木になれば雨宿りも、木登りもできるし、枝折れば焚き火もできる。寄り添えば安らぎを与えてくれる。
木を登った先に素晴らしい景色があって、それは登った人にしか分からない、登ったからこそ見えた景色は格別でそれを観せることが出来るようなインストラクターになることが今の目標だ。今はみんなから水をあげて貰ってる段階だけど(笑)